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HYLOGICS

今後は各分室にコンテンツを移して、ここは雑記や暮らしを中心としたライフログ的な何かにしていく予定です。

秋葉原について思うこと

雑記

副題は「私と秋葉原」的な、つまりそういう記事です。

5月に秋葉原名物のでじこの看板が外された一報 (デ・ジ・キャラット 秋葉原 看板 - Google 検索) を聞き、また今週からシュタインズ・ゲートの再放送が始まり思わず手元の全24話を一気見して劇中2010年当時の秋葉原も懐かしいなあと思っていたところ以下のエントリを拝見しました。

私の該当のエントリへの感想は以下の通りなのだけど、ブコメを見ると秋葉原について色々と述べている人たちがいてみんな秋葉原という街について思うところがあるのだなあと。

深センに行ってきましたが、秋葉原は電気街として大変きびしいですね(ツアー編) - takeoriの日記

本記事は「深センすごかった、これが本当の電気街というものか」であってそれ以上でもそれ以下でもないと思うんだけど、(かつて電気街と呼ばれていた時期もあった)秋葉原を絡めたせいでご覧の有様である。

2015/07/04 13:53

私が初めて秋葉原という街に行ったのはたしか2000年頃だったと思う。初めて秋葉原の駅を降り電気街口に降り立った時、その臭いに耐え切れずすぐ帰った記憶がある。そう言えばアキハバラデパートなんてのもあったね。数週間後にリベンジし、以後月に2〜3度は秋葉原へ行きジャンクパーツを漁ったりPCパーツショップを巡ったりする日々が続いた。

当時は既に秋葉原はオタクの街として有名だったような気がする。友人とよく秋葉原に行ってはPCショップとゲームショップに寄り、パーツに興味がない友人は私の買い物を退屈そうに眺め、ゲームショップの空気に耐え切れなかった私は外で友人の買い物を待ったりしていた。残念ながら2000年以前の秋葉原を知らないのだけれども、拙い知識によると秋葉原が電気街(電機を売る街)として存在していたのは1990年頃まで、1990年〜2000年頃はPCパーツの店、2000年以降はメイド喫茶も隆盛し、2005年頃からは完全にポップカルチャーの街となった印象がある。かろうじて2005年頃までは電気街という名目も残っていたものの、ぶっちゃけ電車男以降の秋葉原は(私的には)既に死に体だった。

秋葉原という街は色んなものをごった混ぜにして存在している街で、今でも電子機器や電子パーツ等を扱う店は存在するし特定の何かを持って「電気街としての秋葉原は終わった」ということは難しいし、秋葉原に通う人たちのそれぞれの思いによって街の見せる顔は変わってくる。そういう意味では電気街としての秋葉原という顔も(一部の人間の中では)まだ生きているのかもしれない。

私にとって秋葉原という街はPCパーツとゲームや模型の街で、とはいえかつて入り浸っていた店はもう殆ど閉店してしまっていて、特に一時期毎週のように通っていた高速電脳が2008年に閉店した辺りで致命的に終わってしまっているのだけれど、それでもやっぱり秋葉原はPCパーツの店だなあという印象は2010年頃まではまだ残っていた。それもまた街の再開発やショップの縮小、取扱品目の変更などでどんどん薄れていったのだけど。PCパーツの店がいつの間にかスマホタブレットばっかり扱うようになってたりね。街に寄る度に自分の中のイメージが塗り替えられていくのがちょっとだけ寂しい。

まあ、今はPCパーツを買うことも少なくなったし、たまに買う時があっても、昔と違い今ではAmazonヨドバシカメラで普通に取り扱っているものを専門店の店頭でほとんど同じ値段で売っていたりして大して魅力を感じない。PCやそのパーツがコモディティ化してしまったせいで専門店の優位性がほとんどないということなんだろう。更に言うと今はスマホタブレットでたいていのことを済ませてしまうのでPCの需要自体が減少しているらしいし、まあショップが撤退してしまうのも仕方ないよね。

秋葉原は電気街としてこの先盛り返すことはないのだと思っているし、そういう方向性を期待してはいけないのだと思う。深センは確かに凄いと思うし同じような発展をする街が日本にも欲しいとは思うんだけど、世界の工場であるところの中国だから出来たことだよなあとも思うわけです。*1

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*1:そう言えばニュースでも普通に「世界第3位の経済国である日本(2位は中国)」と言うようになって久しいね。